高校時代の思い出は放課後、校舎の片隅で友と人生について語り合ったことだ。
何のために生きる、自分とは何か等、今でも少し気恥しい。でもそれが二人の最大
の関心事だった。
大学では故あって人生に苦悶した。苦し紛れに各分野の本を多読した。誠実なニーチェ、行動派のアンドレ・マルローに共鳴した。親鸞にも救われた。虚しいニヒリズムとの、人間の威信をかけた長い死闘だった。アノイ・マシンの如く。
その後、第二次オイルショックの昭和50年、新卒として運よく世界的なエレクトロニクス会社に就職できた。仕事では、今でいうAIたぐいのアルゴリズムを人間の思考を真似て作ったりして満足を得た。しかし、どうもガチガチの組織が性に合わない。
それで今度は東京から地元に帰り、農業をする事にした。しかし組織ではなくなる
も、人恋しくなる。それで農業の合間、縁あって公務員予備校の理数科目の講師をした。
この事が私の仕事を決定付けた。同じ教えるならと、数理パズル的で生徒が苦手とする問題を、短時間に解かす独自の思考法を模索し続けた。(資料参照)そうする事で受講生の目の輝きも大きく違ってくる。生徒からやりがいを与えていただいた。
ある程度、自信がついたので今度は、地元の防府で公務員学校を開校した。社是ならぬ校是も後付けで用意し、社会性も担保した。
1.くせの強い試験でも真面目で誠実な方なら、難なく合格出来るようにする。
2.教養を身につけての公務員就職の早期化、出来れば現役合格。
3.ブラック民、AIリストラの駆け込み寺。
やるからにはベストを尽くそう。小さくても大手、全国レベルに真向勝負出来る
ものにしたい。この欲が原動力。
先ず手段として『敵を知り、己を知れば百戦~』で公務員試験の特徴を分析。
くせが強い相手故に戦略・戦術が実に有効で必須。 即ち
DO(模試)→ SEE(反省)→ PLAN(対策)の60回に及ぶ模試戦略とベスト解法だ。それと特筆すべきはSEE、PLAN深化の解答術授業だ。生徒だけでは極限迄十分に対応出来ないからだ。知識だけでなく知恵があって初めて『鬼に金棒』となる。
四半世紀、寝ても起きてもこればかり考えてブラッシュアップ、ブラッシュアップ。この間、知能系だけでなく法律や経済系にも得難い逸材の先生方に恵まれた。今ではどこにも負けないと。今でも切磋琢磨と。
[ 冒頭に戻り、高校時代の疑問に、50年経った今、答えらしきを書きたい】
人間は自意識を持つ故苦しむ。人は生老病死に苦悩する。猿やニワトリは決して
死について考え込んだりしない。すぐれていると言えば優れている。この厄介な自意識、他にかけがいが無いと思うこの私。過去にも存在しなかったし、未来永劫出現しないだろうと。では、今のこの私の出現は長い脈絡の偶然か、必然か、その両方か。感覚的でなく本当にそうなのか。いずれにせよ『私の自意識』の再来の可能性を完全に否定する事は困難である。そんな(忘れ)もの、疑問として残しておけば良い。
人のあまりにも、こんなにも複雑、繊細な心や感性は、ダーウィンの生きるべくして残ったという適者生存、個体変異の簡明な無神論の行く末で解明できるものなのか。高名な科学者の少なからずが、彼らの学識を極めた後、大自然の摂理として創造主を意識し宗教心を抱いている。『実る程、頭を垂れる稲穂かな』 人間よ、傲慢になるなだ。
ところがである。実際の現実は創造主有りといえども、多くの不条理が放置されている。育児放棄された子が、親を思うが如くになっているのではないか。無益とは言えない迄も創造主は、人格的でないと意味を為さない。宮本武蔵の『神仏を尊びて、神仏に頼らず』 我々多くの凡人はそこ迄到達はできないが、魅力的な言葉に響く。武蔵の希望と絶望、人としての強い意志と苦悩が、垣間見られるからである。
そろそろ結論を書かせていただこう。月並みで、文学もどきで恐縮だが、
・光ある内、光を歩もう。 ・でも他我も尊重しよう。他我にも自我有り。 ・光消えるのなら、愛すべき他我に入り、生きよう。 |
愛とは『相手が苦しむ事が、自分が苦しむ以上に苦しい事』
愛とは『相手が喜ぶ事が、 自分が喜ぶ以上に嬉しい事』なのだから。
正に親が子に対するが如く。勿論、若い男女の愛だけではない。愛はある意味、自我にとっては危険物。故に〈人生の不条理には愛が武器〉になる。形のある『私』はいずれ滅ぶ。共感こそ、人間をして人間たらしめるものではないか。
夕方、家の近くを散歩していたら、幼き子らが広場で遊んでいた。復路戻って来たら、一人、二人と家に帰っていっていた。どういうわけか60年前の自分の記憶が甦ってきた。 ああ、世の中循環しているのだな。この循環よ、限りなく続け! と。